弥勒2008-12-29 12:13:10

ここのところ、山とお菓子の話ばかりなので、たまには本の話でも。

少し前に篠田節子の「弥勒」を読んだ。ブックオフで数冊買ったうちの1冊で、予備知識無しに買ったのだけれど、南アジア山岳系に馴染みのある者としては「うわ何これ」というものだった。舞台はインドに隣接するヒマラヤの小国家パスキムなる国なのですが、まあ、これがどうにもネパールやブータンを連想させる訳ですね。著者も両国に取材に行っているようで、(しかもネパールの取材協力者にあがっているネパール人は会った事のある人でした)連想というよりも、そのものに着想を得た、ということだと思うのですが。

ストーリーはある種冒険活劇的であり、南アジアは別にしても面白いものだと思う。「女たちのジハード」や」ゴザインタン-神の座-」(←これもネパールが題材)などなどの著作があり、直木賞も受賞している作家、さすがぐいぐいと読ませる小説です。

他方、読んでいて思いついた点をいくつか。

閉ざされた王国と社会主義的改革のあり方の視点。これもブータンやネパールの政治動向と絡めて考えてしまう。この小説に描かれるパスキムの、宗教と文化重視の上に鎖されたなかでの幸福な国のありようはまさにブータンを思い出させるのですが、ここにネパールの初期のマオイストを思い起こさせるラディカルな共産的改革を行う指導者が登場。当初理想的な平等社会を実現するために農村に、ある種滑稽とも思える統率的規律を持ち込み、最後には上層部の暴走になっていく。ネパールマオイストも一時カルト化していると言われていた時期があり、結果的に現在のような政治的主流化を実現できていなければ、同じような「崩壊」があり得たのだろうか。(と、書きながら、最近のネパールもまた、政権をとった政党の愚劣さを体現しているようでもありますが。政党関係者がメディアを襲撃するとか、本当にひどい。)

外国人が見る外国の視点。身につまされたのは、主人公がパスキム王国に強い憧憬を抱き、その文化を高く評価していたものの、あくまでも表層しか見えていなかったという他者の視点の限界の描写。私自身、ネパールも旅行者の視点で体験したヒマラヤの小国への憧憬が、そもそも今の仕事にかかわる原点でもあるわけですが。国がかわって、旅から仕事にかわっても、何が見えて、感じることができて、理解できるのか。さらに自身の価値観を通じて考えることを、相手にどのように共有(もしくは強要でもありえる)していくのか。外国人がある国に(旅以上に)かかわる時、結局はある種の変化のファシリテーターにしかなれない、という考えに至るものの、同時に自身の価値観というフィルターには自ずと限界がある、というのを改めて考えさせられるところがありました。

他にも色々と示唆的なテーマはあると思うんですけどね。まあ、深読みや南アジアを抜きにしても、単純に小説として面白いというのが最終評価であります。という訳で、機会があればご一読を。

コメント

_ noriGT ― 2008-12-29 20:43:12

どうもです。
なるほど面白そうな本ですね~。
時間がたっぷりできたので読んでみます。
ではでは、よいお年をお迎えください。

_ turtle*tortoise ― 2008-12-31 19:03:36

noriGTさん こんにちは。
本は是非読んでみて下さい。普通に面白いです。noriGTさんも良いお年を!新しい1年が素晴らしいものでありますように。

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