アフリカのインド人・中国人2008-01-20 16:27:36

急速な経済成長を続ける中国が、自国のエネルギー源を求めて、アフリカに対する露骨な援助攻勢をかけていることは良く知られている。OECDのDACでも、援助協調なんてそっちのけ、一体いくらの援助を出しているのかも不明ということが、問題としてしばしば取り上げられている次第。(こんなセミナーもあり:http://www.jica.go.jp/branch/ific/past_topics/070129.html
これからTICADに向けて、中国が取り上げられる場面もまた増えてくると思いますが。)

今回の旅行中、フライトの都合で強制的に滞在することになったエチオピアアジスアベバで、アフリカに増殖する中国人を実感。シャトルバスでホテルに着いた瞬間から、「ニイハオニイハオ、シェシェ」と呼びかけられるのである。まあ、放っておけばいいのだけれど、一応、「私は中国人じゃなくて、日本人。」と言ってみる。すると向うがものすごーく驚いて、このホテルに来た日本人は初めてだ、とか、エチオピア航空のトランジットは中国人だけだとかひとしきり。町に出ても、シェシェシェシェ。なんとなくむっとしてしまう。

ちなみに、エチオピア航空は中国各都市とアジスアベバを繋いでいて、乗客に中国人が多い。復路バンコクに飛んだ便も、最終目的地は成都だった。

仕事で関わっているバングラでも、中国と韓国のビジネスセクターがものすごい勢いで入って来ているのを感じるのだが、アフリカ大陸においても中国勢が席巻しつつ
あるのか。

一方、歴史あるディアスポラとしてウガンダでもタンザニアでも印象が強かったのはインド人。大英帝国がアフリカにおいて植民地化をすすめていった時、インドからテクノクラートを派遣して統治したことに始まり(同じ事はバングラの歴史においてもあったが)、アフリカのビジネス資本はインド系が多いらしい。ウガンダではヒンズー寺院を見かけ、タンザニアではサファリ客のかなりの割合がインド人家族であることに驚いた。

アフリカ大陸のインド人、中国人。世界では、思った以上に「人が移動している」ことを痛感した。

こどもたち2007-12-21 00:14:11

ガイジンが可笑しい。

すべてが流された後で2007-12-21 00:11:17

生き残ったということ。

不安2007-12-21 00:09:39

この村では100人以上が亡くなっている。

倒木2007-12-21 00:08:04

サイクロンでなぎ倒された木々。

バゲルハットの睡蓮2007-12-21 00:05:54

早朝、ワニがすむ池。

サイクロン一過の連休2007-11-25 23:31:23

結局、先週の予想は杞憂に終わることなく、バングラデシュのサイクロンは3,000人以上の死者を出し、多くの人が家や生活の基盤を失う結果となった。

国際機関、NGO、各国が支援を開始する中、常日頃バングラの開発に関わっている自分自身の仕事も慌ただしくなった。もともと予定していた12月の出張の準備もあり、久々に日付が変わってからの帰宅が連続。週末直前、12月の出張が最終的に延期となり、ここで気力が「ぷっつん」して帰宅、連休に突入した。出張がキャンセルにならなければ、週末出勤を考えていたので、ある意味ラクにはなったのだが、疲れが一気に襲って来て、本当にだらだたした連休を過ごした。

東京にいて、できること、現場にいて、できること、が違うということは理解している。マルチとバイの違いも、NGOと政府系支援の違いも。分かった上で、何ができるか、最善を尽くすしか無い。ただ、今回自分自身が相当のエネルギーをかけてやっていることが、間接的にでも被災した人々の救済にどれだけ繋がっているのか、日々入ってくる情報と、自分が手を動かす仕事とのギャップに滅入った1週間だったというのが正直なところだ。

明日からまた、サイクロンのフォロー。気を取り直して、できることを、前向きに。

サイクロン2007-11-17 12:42:00

またしても日本ではごく限られた報道しかないが、木曜日から金曜日にかけて巨大サイクロンがバングラデシュを通過。

昨日の時点では、死者数はBBCで260人だったのが、今朝になって、600人を超えた。(現地紙Daily Star)死者はこれから1000人を超えるだろうと書かれているが、1000人で済めば幸運か、とすら思う。停電にコミュニケーション手段が切断されているから、今わかっている被害はごく一部ではないかと思う。91年には14万人がサイクロンで亡くなっている。それからサイクロンシェルターの建設や、予警報などは改善されているものの、今回のサイクロンの規模は91年と同じかそれ以上ということだから、心配だ。

今年は洪水もひどかった。これに加えて何故。

緑の田を舞う白い鷺2007-09-29 18:28:44

ミャンマーの観光都市バガン、写真学校の生徒たち
ヤンゴンから車で北へ4−5時間の村々を訪問したのは去年の夏だ。

バイクの後ろにまたがって、あぜ道を行く。飛ぶように過ぎ行く私の回りの、緑、空、泥、日差し。7月の田圃の緑は鮮やかだった。そこに飛ぶサギの白く優美な姿。私はいつまでもいつまでも、ずっとずっと進んで行きたかった。

訪れた村々は貧しかった。タナカを塗ったかわいい子ども。庭先の小さな畑。のら犬。

蚊取り線香の煙の中で、板張りの床をぼんやりと眺めながら、夕食を待った時間。雨水をためた桶で顔をあらった朝。

美しく、静かな国の思い出だ。

穏やかで優しい人々は、しかし、重い閉塞感と諦めの中におかれていた。遠回しに国の状況について話す時の、自嘲気味にすら思える控えめさ。「子どもの世代が親の世代よりも質の低い教育を受けている国は私たちの国だけです。」この言葉に静かな衝撃を受けたのを憶えている。

私の滞在先に、入れ替わり立ち替わり旅券の番号を控えにきた軍、治安関係者。NGOでインターンをする一学生に査証を出すのに、国家レベルの委員会で検討をした国の有り様。軍政のトップ自身が、いかに怯えているか。

今立ち上がったミャンマーの人々の願いが、実現しますように。心からそう願う。

マオイストの暫定政権脱退2007-09-18 22:43:12

ネパールマオイスト、暫定政権から脱退。

本日昼過ぎの衝撃のニュース。唖然だ、唖然。言葉を失う。

マオイストよ、君たちはそれではヤクザと変わらんじゃないか。そもそも、国体を決めるための制憲議会選挙の実施に合意した上で、和平合意に署名し、暫定政権に加わったののではないか。国体を決める選挙をする前に、共和制を宣言してくれと主張することが、民主的でないことぐらい、アホでもわかる。共和制を選ぶにしろ、立憲君主制を選ぶにしても、国民が決める権利を持つことは明白だ。

それを、一部の政治勢力の間で話し合って決めてしまおう、というその姿勢そのものが、ネパール国民を軽視している。民衆のための闘争を標榜してきたマオイストの思想にも反するんじゃないだろうか。

それを、共和制が宣言されないなら、暫定政権から脱退しちゃうんもんねー、というのは本当に子どもじみている。ネパールの和平や平和構築を支援してきた国際社会の期待をも、裏切っている。

それに、今の状況で笑っているのは、何よりもギャネンドラ国王かもしれない。




................. と、かなり腹立たしいニュースだが、私はここで腹をたてていればそれで済む訳で、それで済まないネパールとそこに暮らす人々の、1日も早い安寧を祈りたい。