贈り物2008-02-20 01:00:30

今日は帰宅したら郵便受けに、アメリカから届いた2つの大きな封筒が入っていた。一つは叔父から送られて来た叔父の著作。もう一つはオハイオに住んでいた時にとってもお世話になった方が作曲して録音したピアノ曲のCD。

送ってくれたという心遣いが単純に嬉しいというのと同時に、書いたり、作曲したり、そのエネルギーに驚かされる。叔父は働きながら何冊も本を出しているし、オハイオでお世話になった方は、ずいぶんとご年配になってから大学院に入学し、今でも作曲を勉強されている。そのエネルギーって何だろう。

自分は何かを生み出すよりも、消費するばっかりだなあ。週末といっては山とスキーばっかりじゃダメですかね。

さて、週末からはまたバングラ。延期2度を経て1年越し3度目の正直出張、無事終わるかな。

Gift & Calling2008-02-20 22:48:38

昨日「贈り物」の話を書いたところで、今日は似たようなお題だけれど、少し違う話を。

Giftというのは普通に言えばもちろん、「贈り物」なのだけれど、同時に「天から授かった才能」という意味がある。Callingというのは、まあ、「電話」とか「呼ぶ」とかいう意味もありますが、同時に「天職」という意味がある。人自らが職業を選ぶのではなく、天から選ばれた職業を授かるということ。ここで敢えて英語を引用するのは、「才能」とか「天職」という言葉では表現できないニュアンスが、それぞれの言葉にはあるから。

今日、友人が歌うのを聞きに行き、彼女の歌う力はGiftであり、彼女が歌手であることは、Callingである、と思った。

あまり上手く説明が出来ないのだけれど、私が劇場に出向いてオペラを聴き続けるのには、稀にある「神が降りたような瞬間」を味わいたいからだ。「神が降りた」などと言うと、とても大げさだけれど、心が震え、頭が空白になる瞬間というものが、時にあるのがオペラで、その高揚感というか、周りが無になって漂う感覚のようなものに取り憑かれて、また劇場に行きたくなってしまう。

と書いたところで、ただ、誰もがオペラを観て同じように感じるかどうかは別問題で、「神が降りた」瞬間を得るのもある種の才能で、自分はオペラを聴き楽しむということについては幸福なgiftをもらったものだと思う。

さて、本日の友人の歌を聞いて、「神が降りた」瞬間があったのかというと少し違うのだけれど、彼女には神が降りるだけの「器」があるなあ、という意味で、その歌う力はgiftであり、歌手であることはcallingであると感じ入ったという次第。今日のようなリサイタルではなくて、いつかはオペラの舞台で、その「瞬間」に出会いたい、と強く思った。

今月一杯は日本で歌うようですので、興味のある方は是非。とか言いながら、チケットは殆どソールドアウトのようですが。
http://www.asakotamura.com/japanese.html

ところで、天から授かったgiftを生かすための彼女の努力というものには、凄まじいものがあって、努力する力とエネルギーもgiftのうちだ、と思うのでした。