軽井沢の温泉2009-09-13 22:55:03

週末は、1年振りに軽井沢にでかけて、温泉三昧。

明治時代からつづく古い温泉の小瀬温泉。そして今日は星野温泉のトンボの湯。

どちらも良いお湯でしたが、全体的な評価では小瀬温泉に軍杯が上がる。トンボの湯は、あまりに観光地みたいだし、ふだんあちこちの山で500-600円で日帰り温泉を楽しんでいる身としては、1200円は少し高いかも。

小瀬温泉は鯉料理に鮎も。施設は古いながらも、なかなか贅沢な休暇を楽しんだ。

村の暮らし2009-05-23 22:08:25

ウラの軒先
ブータンの旅の話が続きますが。

今回の旅では、東の方のウラという村のお祭り(チェチュ)を見ようと思っていたのだけれど、前日隣の村まで来てみると、ウラのチェチュは3日後に延期と聞かされ、残念ながらチェチュは見逃した。

日本ではこのお祭りを狙ったツアーを販売しているのを見たので、旅行会社はさぞ困ったことでしょう。が、いかにも南アジアらしい話でもあり。

せっかくなのでお祭り前のウラの村を散策した。畑の広がる中、家が数十軒集まった小さな村。冬は寒いのだろう、庭先には薪が山とつまれている。学校がある時間帯のためか、村の中には小さな子どもと犬、年寄りばかり。春とはいっても初夏のような日差しの中、庭にはシャクヤクの花、そして柔らかな緑の柳の並木。石畳の小道を歩くと、なんとものんびりとした麗らかな村である。

これまで、色々な国に行き色々なところを訪れたが、都市や町はたいてい、自分の理解の範囲の世界である。ところが村に行くと、時々、「こんなところに生まれ育ったら、そこで持つ世界観や価値観は、どんなものなのだろう。」と思うことがある。

ウラは全くそのように思わせる村で、自分の目にはまさに桃源郷に写る光景も、そこに住む人々には日々の現実で、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、怒ったり、そうして暮らしているだと思うと不思議である。

仏の教え2009-05-23 12:12:07

タンゴチェリ寺院にて
写真はタンゴ・チェリ寺院の境内でお勉強するお坊さん。お経を勉強していますが、お経には、言葉通りの意味に加えて内なる意味があり、そして次にすすむべき道を示す地図でもあるそうな。

ブータンはチベット仏教の国で、国王と対等な地位にジェ・ケンポと呼ばれる大僧正がいる。ブータンの国は17世紀にシャブドウン国家統一にはじまり、このシャブドウンによってドウク派が国教となった。シャブドウンの転生は今でも続いている。

ということで、国の成り立ちと仏教は密接で、仏教の世界観は人々の生活、価値観とともにある。

数々の寺院やゾンを訪れ、ガイド君から沢山の仏像、仏画、エピソードや伝説を教えてもらうのだけれど、その中で印象に残った仏教の5つの毒(毒というのは適切な表現かはわからないけれど、英語ではpoisonという言い方をしていたので)。

Attachment 凡庸
Ignorance 無知
Jealousy 嫉妬
Anger 怒り
Pride 自負

悟りに至る道というのは、難しいものだと思う一方、おおよそ人が心がけるべきことをきちんと示しているものだ、とも思う。

ジャカランダ2009-05-21 23:11:24

プナカゾン
5月のブータンは花々に彩られていましたが、久しぶりに出会って感動したのがジャカランダ。プナカのゾン(お寺兼行政府)のジャカランダの大木は、荘厳な寺院の概観と素晴らしいコントラスト。

日本では、ノウセンカズラが同じ仲間ということのようですが、紫色の花を枝いっぱいにつけるジャカランダは、アフリカや南米にも多くある花木。なんでも世界三大花木の一つだそうな。

ネパールでも春の嵐の後、一番暑い季節になる前にジャカランダの花が満開になる。ホコリっぽく、今やアジアいち空気の汚いカトマンズでも紫の花は良く目立ち、綺麗だなあと思ったもの。パタンにあった自宅の屋上で、同じ季節に実をつける庭の桑の実を取って食べながら、隣のホテルと家の庭にあるジャカランダの花を眺めたり。今考えると優雅な週末でした。

ブータンは何かとネパールと比べたくなる国で。ジャカランダの紫の花や、石楠花の赤い花にネパールを思い出したりしていた旅の道中、車中のラジオでネパールの首相辞任のニュースを聞いた。

まったく、政治に関しては、どこまでも期待を裏切ることが得意な国である。マオイストリーダーのプラチャンダ改めダハール氏、闘争と選挙と王制廃止と、その後に実現したかった国のあり方は何だったのかしら。そしてUMLのネパール氏率いる新政権組閣の動き。選挙ぼろ負け直後の1年前にお会いした時にはすっかりご隠居の雰囲気だったおじさんが首相に返り咲くとは、何かがかわったようで、何もかわってないような。

ネパールとブータンはどこか似ているようで似ていない、出来の悪い兄に賢い弟、そんな印象が拭えない。

ブータンの麺2009-05-19 22:44:31

Mix Bathu
ブータンの食べ物がいかに辛いかは、以前にも書いた事がありますが。http://turtletortoise.asablo.jp/blog/2007/08/05/1704120

今回食べて辛かった!のは、最後に食べたDruk Airの機内食。「ベジタリアン or ビーフ」という選択肢だったので、「ビーフ」にしたら、これがビーフソーセージ入りエマダツイだった訳で。エマダツイとはエマ=唐辛子、ダツイ=チーズ、要は唐辛子とソーセージをチーズで煮ただけという料理。滞在中に食べたどのエマダツイよりも、これが辛かった。ティンプーからバンコクに向かう飛行機の中で、息をスーハースーハーしてしまった。さすがナショナルキャリアーのDruk Airですよ、やられました。

滞在中、麺を食べる機会が2度。

一つは写真のバツウ(Bathu)なる麺。ブータン版「ほうとう」ですね。結構美味しいです。肉は干し肉をカラカラに揚げたものと、皮のゼラチン質のところと、食感が異なるものが沢山入ってます。ネパールでよく食べたチベット系の麺、トウクパよりもおいしいです、こっちの方が。

もう一つはソバ粉を使ったプタと呼ばれる麺。ソバ粉につなぎを入れずに水だけで練って押し出した麺なので、長さが短い。長さが短く、コシはない麺を、油で炒めてヤキソバのようにしてある。ほのかに苦く、なぜかと言うと製粉の過程で殻が少し残っているからだそうな。まあ、普通ですね。同じそば粉を使ったクレと呼ばれるパンケーキも食べましたが、こちらはそば粉のガレット(クレープ)のようで美味しかった。

麺以外でおいしかったもの、それはアスパラガス!!!滞在中一番たくさん食べた食材。ちょうどシーズンだったのか、どこにいってもアスパラガスが美味しかった。あとブムタンのチーズとりんごジュースかな。

とりあえずは旅の食べ物のの話でした。

ブータンふたたびの旅2009-05-16 22:19:43

ゴールデンウィークは約2年振りのブータン再訪の旅でした。

まずは2度もお招き下さり、色々とアレンジをして下さったYさんとYさんに感謝。お陰さまで素晴らしい旅をし、季節も違う、春らしいブータンを思う存分楽しむ事ができました。

雨期で土砂くずれに悩まされながら、緑したたる森に、霧に、雨に、取り憑かれるように旅した前回。

連日の晴天の中、柔らかな緑に青空、雪を頂いた白い峰々、強い日差し、りんごや石楠花、モクレンの花に春を満喫した今回。

前回と今回、自分自身の生活のあり方、精神面でのありようも随分異なり、そういった意味でも時は流れたのだ、と感じた旅だった。

去年第5代国王の戴冠式を終えたブータン、主都ティンプーを中心に、ずいぶんと色々な変化が見られた。こちらは時というよりも、時代がかわりつつある、と言うべきか。

いつかまたブータンを訪れたいと思うけれど、その時自分は何を感じ、何を見るのか。自分自身を振り返る意味でも、ブータンという国を知る意味でも、興味があるところ。

空と地上と2008-08-28 23:01:21

Waterton Lake NP
カナダで交通事故にあった時、私は救急車で、車を運転していた者はヘリコプターでそれぞれ病院に搬送された。

後日、各々に請求書が届いた。

救急車、約1,000カナダドル。
ヘリコプター、約3,700カナダドル。

救急車は高い気がするのだけれど、(ちなみに、事故の3日後にレッカーされた車に荷物を取りにいくのにタクシーでかかった往復費用が250ドル)ヘリコプターの値段は一体全体高いのか、安いのか。

ちなみに、カナダでの入院費が1日約4,000ドル。5月に仕事でネパールで乗ったヘリの値段が、やっぱり1時間あたり4,000か5,000ドルぐらいだったような。(← うろ憶え)

と、ナゾに思ったところで、ググってみたところ、日本では1分1名4000円から、なんていうのがある。1分あたりで計算しようとするあたりが、いかにも日本で少しがっかりですが、カナダやネパールに比べてべらぼうに高い、という訳でもないらしい。

まあ、なんでもいいんですけどね、皆さん海外旅行の際には旅行保険をお忘れなく。

写真はカナダで唯一歩いたWaterton Lake 国立公園で。日本のカタクリに良く似た黄色い花。

カナダで交通事故2008-07-12 08:33:11

ブログ、すっかり放置しておりました。

早いものでネパールで5000Mを歩いてから1ヶ月以上。7月に入りちょっと早めの夏休みでカナダに行ってきました。

そこで、交通事故にあいました。

カナディアンロッキーでのハイキング満喫を予定していたのが、一転、病院通いや諸手続きに追われる旅に。幸い、同行者も私自身も事故の規模に比べたら軽症で、最終的には予定通りの飛行機で帰国することができた。

事故直後の光景と恐怖は、一生忘れそうもありません。ハイウェイの側溝でひっくり返った車からひきずり出されて仰いだ空の青さ、光、草のにおいの記憶もずっと消えない。同時に、カナダの多くの人の暖かさと親切、ユーモアも忘れることは無いと思う。そして、混乱している時に側にいてくれた友人の支えと心遣いに深く感謝したい。

「生かされている」ことを知った旅でした。

アフリカのインド人・中国人2008-01-20 16:27:36

急速な経済成長を続ける中国が、自国のエネルギー源を求めて、アフリカに対する露骨な援助攻勢をかけていることは良く知られている。OECDのDACでも、援助協調なんてそっちのけ、一体いくらの援助を出しているのかも不明ということが、問題としてしばしば取り上げられている次第。(こんなセミナーもあり:http://www.jica.go.jp/branch/ific/past_topics/070129.html
これからTICADに向けて、中国が取り上げられる場面もまた増えてくると思いますが。)

今回の旅行中、フライトの都合で強制的に滞在することになったエチオピアアジスアベバで、アフリカに増殖する中国人を実感。シャトルバスでホテルに着いた瞬間から、「ニイハオニイハオ、シェシェ」と呼びかけられるのである。まあ、放っておけばいいのだけれど、一応、「私は中国人じゃなくて、日本人。」と言ってみる。すると向うがものすごーく驚いて、このホテルに来た日本人は初めてだ、とか、エチオピア航空のトランジットは中国人だけだとかひとしきり。町に出ても、シェシェシェシェ。なんとなくむっとしてしまう。

ちなみに、エチオピア航空は中国各都市とアジスアベバを繋いでいて、乗客に中国人が多い。復路バンコクに飛んだ便も、最終目的地は成都だった。

仕事で関わっているバングラでも、中国と韓国のビジネスセクターがものすごい勢いで入って来ているのを感じるのだが、アフリカ大陸においても中国勢が席巻しつつ
あるのか。

一方、歴史あるディアスポラとしてウガンダでもタンザニアでも印象が強かったのはインド人。大英帝国がアフリカにおいて植民地化をすすめていった時、インドからテクノクラートを派遣して統治したことに始まり(同じ事はバングラの歴史においてもあったが)、アフリカのビジネス資本はインド系が多いらしい。ウガンダではヒンズー寺院を見かけ、タンザニアではサファリ客のかなりの割合がインド人家族であることに驚いた。

アフリカ大陸のインド人、中国人。世界では、思った以上に「人が移動している」ことを痛感した。

ライオンは見たか2008-01-19 22:02:01

岩の上でポーズ
アフリカでサファリをやってきた、というと、一様に聞かれるのが、「ライオン見た?」という質問。

という訳で、ライオンです。

昼間のライオンっていうのは、大抵とっても怠けていて、「巨大ネコ、ごろごろしてます」っていう風情が殆ど。百獣の王というような凛々しい姿は見れなかった。

他に、キリン、カバ、チータ、シマウマ、ヌー、ハイエナ、イボイノシシ、ダチョウ、ゾウ、サル、インパラ、ガゼル、などなど。顔がおかしかったのはハイエナ、姿が美しかったのはチータ、迫力があったのはゾウ、哀愁が漂っていたのがキリン、臭かったのがカバですかね。

シマウマやヌーはあまりにたくさんいて、「マザー牧場」かと思いましたよ。